【雑記】ブラツキ街の変化

 大垣市でいちばん初めにネオンが灯った場所であり、かつては大垣一の繁華街であった郭町2丁目の商店街、通称「ブラツキ街」。かつて大垣城の大手門があったことから「大手通り」とも呼ばれるが、わたしはそう呼んでいる人をあまり見たことがない。(いるとは思う。自分の周りにはいないという意味。)


 ブラツキ街の名称で親しまれているのもこのアーチが大々的に「ブラツキ街」と名乗っているからだろうか。これだけ目を惹くアーチなのだから、その名が浸透するのも無理はない。一応、自噴水の側に「大手通り」と書いた石碑は建っているがあまり目立たない。


 昨年、帰省した際に大垣の街をブラついてきた。この辺りを歩いた時に何だか違和感を感じ、立ち止まった。なんだか景色が随分とすっきりしたなとしばらく眺めてようやくこのアーチがないことに気づいた。

アーチがないだけでこんなに景色が寂しくなるのか。なけりゃないで困らないのだが、大人になった今でもああいうのがあるとくぐらずにはいられない。アーチがあるだけでワクワクする。そのワクワクがなくなってしまった...。


 図書館で調べ物をしたついでにブラツキ街のことを調べてきた。30年前の5月1日にブラツキ街アーチの除幕式が行われ、その時の新聞記事(1992年5月2日中日新聞朝刊記事)を見つけた。


 複写は取らなかったので殴り書きメモをもとに書くと、ブラツキ街の開発は通産省の商店街活性化モデル事業と建設省の中心市街地活性化計画によって行われた、らしい。200個の電球を使用し、1200万円をかけて設置されたとのこと。結構な額。


 設置から約30年になるのだから老朽化もしているだろうし、撤去されるのも無理はないか...と思った。


 また別の日、クリスマスの夜にブラツキ街を散策した。灯りは街路灯に少しのイルミネーションの灯りだけ。人気のない静かな通りだった。

 大垣のネオンの発祥の地・ブラツキ街の今はマンションが建設され、劇場やパチンコなどの娯楽施設があった頃とは違い、商店と静かな生活の場が共存する街になっている。ネオンのアーチはもう必要なかったのだろう。


 もう一つのブラツキ街の変化。

 大体、ブラツキ街へ立ち寄るのはこの喫茶店へ行くのが目的だった。

 喫茶大手門。写真は2018年7月。

これが最後の訪問だった。

 こちらも帰省した際に再訪しようと立ち寄ったのだが残念ながら閉店されてしまったようだ。また絵を描いて記録しておきたいと思う。

 2021年2月ごろに閉店。

 (メモ:昨年6月にストリートビューで店に貼られた貼り紙を見ることができたのだが今は見られなくなってしまった。それを見てどこかにメモをしたのだが荷物とともに段ボールに詰めてしまったので荷解きして発見したら正しい情報に直す。)


2021年6月。


 朝食を食べずに歩いてきた。久しく行けていなかったから大手門でモーニングしようと、閉店を知らずに訪問してしまった。まあ、モーニングには困らない地域なので違う店へ向かった。またわたしがしばらく帰らない間に喫茶店が閉店してしまい悲しくなった。


 食品サンプルが並べられていたショーケースは空っぽに。



 また数ヶ月後にブラツキ街を歩いたら、大手門のショーケースは大垣まつりのPRスペースと化していた。なるほど、この手があったか...


 この喫茶店の裏手には、廣嶺神社がある。こんな奥に?と思うような狭い場所で、ここにはかつての大垣城の大手門跡がある。

 わたしは城や歴史には弱いので史跡周辺の立て看板の情報によると、大手門というのは城の正門のことで、大垣城は全部で7つの門があり、そのうち南口と東口に大手門があった。ブラツキ街は東口にあたる。冒頭でも書いたが大手門があったから大手通りという名がある。


 



 現在の大垣城は戦後に再建されたものだが、戦争で焼ける前は今よりも大きかったという。


 話が逸れた。わたしも大垣で過ごす時間が長く、大垣何がある?と聞かれたら城ぐらいしか出てこない。観光案内本を見ても必ず大垣城について書かれている。今も昔も変わらない大垣のシンボル。さすが城下町というだけあり、周辺の喫茶店の屋号を調べてみると、城にまつわる名が多かった。

 東口大手を出てすぐの場所、竹中歯科(昔喫茶セイチクが入っていたビル)あたりには「ニューキャッスル」という喫茶店があった。そして、今も跡地が残っているがお城街には「古城」、そしてこのブラツキ街の「大手門」。...と、挙げてはみたがそんなに多くはなかった。

 ブラツキ街もかつては何軒か喫茶店があったのだが最後の喫茶店であった大手門も閉店してしまった。また少し、ブラツキ街が寂しくなってしまった。


 そんな感じで、適当な雑記は以上。