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執筆者の写真オクヤマ

喫茶燐寸帖 06 ビクター

 早いもので6回目の更新。どうせ3日坊主やわと思っていたけれど地道に更新できている。最近マッチの話ばっかやね、さて本日はこちら。


06 ビクター



 柳ヶ瀬といえば「ビクター」と言っても過言ではないぐらい、柳ヶ瀬のランドマークであった喫茶レストラン。その歴史は古く、戦前の記録にも「ビクター」の名が残っている。そこからいつ頃まで営業していたかは分かっていない。昭和48年の地図には名が残っているが61年になると別の店に変わっている。この間の地図が手元にないのでまた後日確認してこようと思う。もう、毎回毎回調べたいことばっか。


 今回ビクターについて書きたいと思ったのは、昨年末、とある喫茶店のマスターからビクターの思い出話を伺ったからだ。マスターが10歳ぐらいの頃のお話。(昭和41年のお話。)


「柳ヶ瀬にはビクターっていうおっきいレストラン?があってさ、母に「柳ヶ瀬に行くからおめかししてね」なーんて言われてさ、他所行きの服着てチンチン電車に乗って行ったのよ。で、柳ヶ瀬で父と待ち合わせして家族でビクターでご飯食べて。ステーキがすごい美味しかったなーってよく覚えてとるんやて。昔は柳ヶ瀬はおめかしして行くような場所やったんやで!」


 マスターはお客さんから貰ったという昔の柳ヶ瀬の写真を見ながらそう話してくださった。


 「お話・岐阜の歴史」サークルのHPには岐阜の歴史がわかりやすく纏められている。以下の記事内には当時の柳ヶ瀬の様子を知る人々の話(手記?)がいくつか纏められており,そこに「ビクター」の名が何度か登場する。人々の思い出の中に刻まれている店なのだろう。


「No.23 昭和の柳ヶ瀬・復興から反映へ」


 現在中日ビルがあるあたりに「丸物百貨店」があり、その隣ぐらいにビクターがあった。下の写真は当時の柳ヶ瀬の街並みを写したもの(ポストカード)である。柳ヶ瀬通りを東に向いて、今でいうと山田呉服店のあたりから中日ビル方面を見た図。ビクターの看板がよく目立っている。

↑柳ヶ瀬の街並み ポストカード


 マスターの話にあったように、ビクターの看板メニューは「ビフテキ」だったのだろうか。マッチにも「自慢のビフテキ」と記載がある。


 昭和27年の商工名鑑を見ると、柳ヶ瀬4丁目(現在の柳ヶ瀬1丁目が当時の4丁目。この頃は今と丁目の順?が逆だったらしい。)のビクターと、もうひとつ神室町1丁目にもビクターがあったようだ。(同族経営の店。)


 これだけ柳ヶ瀬でも大きな店であったからもうすこし情報がないかと図書館などで資料を探してみたが出てこなかった。毎回言っているが今後も地道に情報収集をしていくつもり。


 現在、ビクターがあった場所は「居酒屋村さ来」が入っている。このビルを眺めていて、気づいたこと。



 ここのビルの名は「ビクタービル」だったのだ。形を変えて名前は残されていた。


 言われてみればここの「村さ来」を利用したことがないなと思い、メニューを調べてみた。ビフテキはないけれども鉄板ステーキのようなメニューもあるらしい。ビクターの味ではないけれど次回柳ヶ瀬を散策した際には村さ来でステーキを食べて帰るのもいいなと思った。


 さて、今日はここまで。また次回も。

 


1 Comment


コメント失礼します。私が子供の頃(昭和40年代)父に連れられ柳ヶ瀬のビクターで食事をした記憶があります。また、1980年頃にはステーキのお店だったという認識もあります。

また県庁付近の21号線沿いに支店もあったような記憶があります。

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