なんとなく少しずつ集めた岐阜市、大垣市を中心とする喫茶店のマッチラベルを紹介していこうと思います。
(紹介するものは自分が実物を所有するもののみ公開します。)
01 マルヤパン
大正10年、今でいうと魚賢ビルがあるあたり(魚賢のとなり?)に岐阜県最初のパン屋、マルヤが開業。パン屋に喫茶店が併設されていたようで、当時大垣にはまだ喫茶店がほとんどなかったためここが大垣の喫茶店の草分け。
↑マルヤ創業の地、現在の様子
↑魚賢
創業者の居原義一氏は東京・麻布でパン屋を営んでいた親戚のもとでパン作りの修行をし、大垣で「マルヤ」を開業した。マルヤというのはその東京の店からもらったそうで、当時の店には「本店 東京」と書いてあったそうだ(※)その東京のパン屋?喫茶店?の「マルヤ」は新橋にあったようだが詳細はまだ分からない。新橋のマルヤについては後日調べてみたい。
「西美濃わが街」第189号(平成5年)に当時のマルヤの喫茶スペースの写真が掲載されている。店内には観葉植物が置かれており、着物姿の女性たちが小さめの丸い机を囲んで喫茶を楽しんでいる様子が写っている。あまり写真が鮮明でないため細かな様子までは分からない。大垣市では珍しい「ハイカラ」な店であった。
昭和13年にマルヤは現在「GLAMDY」というアパレル店跡地があるところに移転した。
↑マルヤがあった場所(郭町1丁目)
アパレルショップ「GLAMDY」も閉店してしまった。GLAMDY内で「オオガキ珈琲」という喫茶スペースをやっていたらしい。オオガキ珈琲についてはまた別の回で書こうと思う。
↑GLAMDY跡地はアジア食材の店に変わった。この頃はオープン前(2022年10月末撮影)
昭和13年、移転後新築改装したときのマルヤの様子が郷土出版社「西濃の今昔」に掲載されていた。この写真をもとにスケッチを描いてみた。写真の転載、引用はどこまで良いのかよく分からないのでイメージだけでもお伝えできれば。気になる方はぜひ西濃の今昔をチェックしていただきたい。
↑昭和13年ごろのマルヤ
これからアーケードが設置されたり改装されたりして下のスケッチのようなかんじに。屋号は「ベークショップマルヤ」とかっこよくなっている。マルヤと聞くとこの店舗を思い出す人が多いのではないだろうか。
↑昭和60年頃のマルヤ
こちらのスケッチは下記サイトの写真を参考に描きました。下手なスケッチより写真で見た方がいいですよね、すみません。
●広報おおがき「シリーズ ふるさと大垣 懐かしの1枚」(平成28年3月15日)
(書籍だと別冊「図説大垣市史」に同じ写真がカラーで掲載されています。)
残念ながらマルヤは平成13年に倒産。わたしはマルヤについてはっきりとした記憶はない。生まれも育ちも大垣の祖母は「5色パン」のファンだったらしい。
マッチに書かれた住所には「天神丸」と書かれている。今はあまり聞かないが商店街の防災対策とアーケード設置の際に一般公募により命名されたとのこと。天神丸の記載も含めて貴重なマッチだ。現在、この通りはOKBストリート(OKB=大垣共立銀行の頭文字)と名前がついている。
今後もマルヤパンについて調べていきたいと思う。
[参考文献]
※1「西美濃わが街」第189号1993年2月「西美濃コーヒー文考学」
その他本文中に記載。
次回もまた。
2023年2月更新、追記。
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